2013年02月25日
Leo Nicholas Yokoyama
カリフォルニア州ロングビーチ仏教教会への派遣がほぼ確定していたと思っていたところ、今月生まれた息子のLeoの体調がおもわしくなく、オリリアという町でほぼ三週間近く暮らすこととなりました。
おそらくこの夏まではこのままの生活が続くことになるでしょう。
ようやく生涯をかけて守りたいと思う小さな命に出会うことができました。
このままカナダに永住をすることになるのか、家族が落ち着いたところで米国に移動するのかはまだわかりませんが、今は生まれてきたLeoがお母さんとお父さんの近くで幸せに成長してくれることを願うのみです。
私自身、病気の兄の世話におわれていた母との時間がなく、祖母に育ててもらったという記憶がありますから、Leoには母親とのふれあいを存分に味わって欲しいと思います。
組織としての布教は無期限で延期となりますが、小さな観音菩薩像と普賢菩薩像が今住んでいる家にはいてくださり、カナダでのゼロからのスタートを象徴し自分たちを励ましてくれているように感じます。
これまで亡くなった祖父母や父母、お檀家様の家族に向けてお経を詠んだことは何度もありますが、今はたった一人、Leoのために親として今後の健康と幸せを願ってお経を詠んでいます。
今はいない祖父母や父母から、自分たちを介して新しい命へとつながっていく「願い」というものがあることを親となって身をもって実感しています。
仏教は、「気づき」と「共感」という静かな側面をもちながら、ありとあらゆる苦しみを生きる力への転換し人や社会を動かす力強い教えでもあることを、北米の仏教触れながら少しずつ理解し始めています。
北米のキリスト教が空気のようなものになっているように、日本人にとっても仏教は空気のように実感しがたいものになっているのかもしれません。
しかし、たしかに日本人のなかには仏教的な目覚めや共感する力があって、そこに苦悩を前進する力へと変化させていくカギが隠されているように思います。
今ここで元気でいるLeoは、カナダの進んだ医療がなければなかったしょう。
厳しい冬を越えなければならないカナダ人は、極寒を快適な暖かさへと変え、貧困や社会的弱者の存在を高額な所得税と完全平等に提供される国費による医療へと変え、健康に心配のある子どもたちの存在をさまざまな補助制度や慈善団体によって無料で提供される家へと変えてきました。
苦悩が人や社会を成長させ、力強く新しい一歩を踏み出す機会となると仏教的な考え方をするとするな、Leoは私たち夫婦にカナダで力強く生きる勇気と覚悟を与えてくれたことになります。
手を合わせて二人の菩薩に祈るとき、母や父が生きていたら孫に何をしてくれだろうかと考えたとき、自ずと自分の二つの手に二人の意志が既に宿っていることに気がつきます。
今いる自分が精一杯にすることが、そのまま父母がしたであろうことの答えになるのだと気がつきました。
Leo Nicholas Yokoyama。幸せな人生を生きて欲しいと心から願っています。
Posted by Gyokei Yokoyama at
08:12