2018年04月16日

北アメリカ国際布教活動に関する所感

北アメリカ国際布教活動に関する所感

 「ZEN」やマインドフルネスといった言葉が西洋社会の中で一般的に広く認知されるように
なったことは日本でも近年知られるようになってきたことと存じます。教団や僧侶を仲介して
真理に触れるというカトリックの信仰文化のあり方への疑問や反感が、アメリカ人の精神的構
造の中にはあるように思われますが、在家指導者を中心とする曹洞禅は、良くも悪しくも禅の
実践の世俗化を引き起こしています。日本人僧侶であれ、アメリカ人僧侶であれ、この世俗化
する曹洞禅を課題視しているものは多く、正規の曹洞禅のかたちを見直す動きが徐々に顕著化
してきています。

 基本的に集団よりも個を大切にするアメリカ社会において、各曹洞禅の流派はそれぞれの師
を仰ぎその教えにもとづいて独自の道を追求してきました。そんな中で、現地のアメリカ人曹
洞宗系組織Soto Zen Buddhists Associationではその理事会を中心に、一定の取り決めを定める
ために協議を進めています。しかし、その修行方法に関して独自の色合いが強い各流派が意見
を統一することは難しく、その規則の内容は基本的に精神や方針を文言とするまでにとどまっ
ております。現地のアメリカ人僧侶のなかではサンフランシスコ禅センター等規模の大きい僧
侶の団体があることからも推察されるように、大小の諸派が民主的に意見を統合し組織化を図
っていくためには極めて長い時間を要することが予想されています。

 その他、経済的な事情として、疲弊する北アメリカ経済社会においては、学生ローンやさま
ざまな負債を抱えながら他の職業に就いたり、教誨師など就職先のある宗教者としての立場を
確立するなどの努力をしない限り活動を継続することが難しい現実があります。これが長期間
の安居などが困難な背景となっているとも言えます。また、こうした事情も手伝ってか、在家
得度をした後、数年間から人によっては十年以上の長期間の修行経験を経て出家得度をする僧
侶多く、日本で捉えられている出家得度と北アメリカにおける出家得度ではその重みや捉えら
えられた方が大きく異なります。

 次に、北米の家族観に関して、特に欧州色の強い地域や社会では一般的な労働時間からも見
受けられるように日本人の間で許容される条件であっても、それが受け入れられないことがし
ばしばあります。特に、女性指導者が多く母系社会的な特色が強い北アメリカ曹洞禅の社会で
は、家庭に対する考え方の文化的差異を意識しておくことは重要かと思われます。
更に、北アメリカの契約社会の文脈の中では、条文と実際の慣習の間に若干の食い違いが生
まれることを比較的許容する傾向が強い日本人とは異なり、結成安居や法戦式など取り決めと
現実の間に差異があることが許されないということも文化的差異として注意しておくべき点か
と思われます。

 最後に、アジア諸国はじめ世界の多様な仏教組織との交流が移民の国である北アメリカやカ
ナダでは頻繁に起こり、他の宗派や流派の僧侶像や教育システムなどから互いに影響を受け合
う度合いが強いように思われます。北アメリカ曹洞禅社会の僧侶もヨーロッパや南アメリカ、

アジア諸国の僧侶と交流を深め組織づくりを進めています。こうしたグローバルな規模で起き
ている西洋仏教の動向も注視する必要があるように思います。

北アメリカ国際布教活動における布教のあり方に関する所感

 在家指導者を中心とする曹洞禅が広まるなかで、出家による曹洞宗の修行や教義、実践とい
ったものの存在意義もまた同時に高まってきているように思われます。多様化するサンガのリ
ーダーたちのレファレンスポイント(参考書的な存在)として、しっかりとした北アメリカ曹
洞禅の原型を残しておくことは北アメリカ総監部が果たすべき責務かと思われます。

 同時に、道元禅師のみに偏らない歴代祖師に関する翻訳を進めていくと同時に、僧堂生活の
みに偏らない一般的な寺院の維持運営、社会貢献など実際的な情報をひろく共有していくこと
も友好関係の強化につながるように思われます。

 また、日本からの一方的な価値観の押しつけという印象を払拭するためには、ローカルな曹
洞禅の発展を支える一方で、ヨーロッパ、南アメリカ、オセアニア、アジアといった世界的な
規模で必要となる「共通言語」としての曹洞宗のあり方を模索する試みの一環として曹洞宗の
かたちを提示していくことが有効なように思われます。進め方によっては、北アメリカの僧侶
自身が抱えている派閥主義の課題を解決していく糸口にもなるものと考えられます。

 しかしながら、以上のことを進める大前提として、SZBAや各禅センターに直接赴き交流を
深め、信頼を獲得しパートナーシップを築いていく地道な努力がそこになければならないこと
は言うまでもありません。
  

Posted by Gyokei Yokoyama at 09:04