2013年01月03日

西洋における仏教に対する期待



西洋における仏教に対する期待
 仏教の最も根本的な教えに「苦」があります。
 生老病死はすべて苦であるという教えがありますが、もともと釈尊が使った言葉が何を意味したのかについては今も議論が続いているようです。

 マガダ国の現地の言葉であるマガダ語を使ったであろうともいわれる釈尊の教え。

 口伝によってのみ教えが広がった時期が数百年間も続いたこと、その後、パーリ語とサンスクリット語によって経典がつくられ、チベット語、中国語へと翻訳されていくなかで釈尊の言葉はいろいろな言語や文化のフィルターを通して今に至っていると考える人も少なからずみえるようです。

 「苦」はDukkaという言葉で表現されていますが、日本語の苦しみ、英語のsufferingではこの言葉の概念は十分に伝えきることができないのではないかという人もいます。

 「心地好くないもの」、「病んだ状態」など、もともとの言語は広い意味を包含していたのではないかといわれています。

 仏教や禅について、いろいろな人たちと話をしている中で、肌で感じたことがあります。主観的なものではありますが、少し書き留めておこうと思います。

仏教を西洋の人が一般的に求める理由には次のようなものがあるようです。

① 「善」と「悪」といった白と黒の二元論から人を解放してくれる為
② 自らを灯火として内側から自己を変革させていく積極的な姿勢を促してくれる為
③ 教義(Dogma)によって人間をしばらず、人間に自由を与えてくれる為
④ 人生で不快と感じるもの(Dukka)そのものを通して真理へと導く明快さがある為

 さらに「Zen」という言葉については、その言葉の意味を知らない人たちの間でも、おおよそ一般的に「オーガニック」、「ベジタリアン」、「ヨガ」、「瞑想」「自然で無害なもの」、「シンプルで美しいもの」といった肯定的なイメージを連想する人がほとんどのようです。
 Zenという言葉が、独自に進化をして西洋の人たちの間で親しまれていることは確かです。

 お寺に「癒し」や「静けさ」を求めるのが東洋の人たちだとすれば、「積極的な自己啓発」「ストレスマネージメント能力」、「宗教的な教義からの人間解放」などを西洋の人たちは求めているといえるかもしれません。

 個人差は当然あるものの、仏教や禅に対する社会のイメージや期待するものが東西で違うことを知っておくことは重要だと強く感じ始めています。

Posted by Gyokei Yokoyama at 12:05